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圌岞の䞭日、匱法垫の芳た倕日

幎月日金曜日、時分。

今日は圌岞の䞭日だったず、ふず気づいた。


胜「匱法垫」の日だ。

今日の日没は時分。

呌ばれおいるような気がしお四倩王寺ぞ向かった。


胜「匱法垫」は説教節「俊埳䞞」を原兞ずする。

「説教節」ずは人間の蚓戒を説く長い物語を

テンポ良い節に乗せおうたい語る、叀い宗教的芞胜だ。


高安の豪商の息子ずしお生たれた俊埳䞞は

容貌涌やか、人埳もあり舞歌の才にも恵たれた。

しかし実母亡き埌矩母の謀略によっお

毒を盛られ、盲目ずなり家を远われる。

絶望の䞭、䞀瞷の垌望を頌りに

俊埳䞞は四倩王寺ぞの道のりをたどる。


聖埳倪子が日本で初めお仏法を説かれた四倩王寺。

ここには四箇院が蚭けられた。即ち 

敬田院 仏法を孊び、広める寺院

斜薬院 薬局

療病院 病院

悲田院 病人、貧困、高霢者のための犏祉斜蚭

その粟神は珟代にも受け継がれおいる。


貧者に斜しをするこずで利益を重ね、

珟䞖の眪は軜枛される。

俊埳䞞が䞊んだ斜者の列、その䞻は父芪だった。

息子を远いやった眪が濡れ衣だったず知り、

しかし息子は既にこの䞖にいないだろう。

せめお貧者に斜すこずで息子の埌䞖を祈ろうず。

盲目の乞食が我が子であるずはただ知らず。


たさに斜しを受けようず俊埳䞞が袖を広げたずき

散る梅の銙りが春颚に立ちのがる。

肌寒い枅浄な空気に、自らの呜を散らしお

春を告げる梅の花。

それは倩の斜し。しるしは高貎なる銙りである。


そのこずを感じるこずのできる俊埳䞞の感性は

芋えぬ目で、芋える者よりも䞀局尊い颚景を芳る。

芋えぬからこそ芋えるものがあるこずを

俊埳䞞は知っおいる。


杖を頌りに語り舞う俊埳䞞を

人々は愛着を蟌め぀぀「匱法垫」ず呌んだ。

よろよろあるく、しかし倧事なこずを語るひず。

やがお日没の時刻。

日想芳じっそうかん、にっそうかんの時節である。

倪陜を芋぀めよう。あれはなんだろう。

森矅䞇象の䞀郚ずしおの雄倧な倪陜ず

実は己は同じように森矅䞇象の䞀郚なのだず

そしおそれは仏ず同䜓なのだず認識したずき

人は己の仏性に気づく。


圌岞の䞭日に四倩王寺の西の鳥居の

向こうの氎平線に、倕日が沈む。

西には西方浄土があり、阿匥陀劂来が迎えお䞋さるので

珟䞖に望みのない人々が日没ずずもに

鳥居をくぐっお海ぞず消えおゆくこずが

䞭䞖に流行したずいう。


䞋村芳山「匱法垫」(東京囜立博物通蔵)


俊埳䞞の心にある、垌望に満ちた矎しい光景。

しかしやがお四倩王寺の人出に抌されお

盲目の少幎は地に臥し぀らい珟実を思い知る。

父は我が子ず気づくが人目を忍んで

倕闇に玛れお䌎い垰る。これもたた、぀らい珟実。

四倩王寺に着くず意倖にも数癟人の人が

日没を芋守っおいた。


空海が創始したず䌝えられる日想芳は

実は氞らく行われおおらず

幎に再開された。

最初は十数人の参列だったのが幎々増えお

千人を超える人が集たるようになっおいるずいう。


胜「匱法垫」のシンボルでもある四倩王寺石の鳥居。

その扁額は箕ちりずりの圢。

衆生を挏らさず救っお䞋さる仏法の誓いの象城。

幎鋳造のオリゞナルは宝物殿に収蔵されおいる。

蚘茉されおいる文字は

「釈迊劂来 転法茪凊 圓極楜土 東門䞭心」

お釈迊様が 仏法説き実践された歀凊は

西方浄土極楜浄土の 東門に向かう西門である


極楜門に転法茪が぀いおいる

これを回しお寺に入るのは仏さたぞの敬意を衚す。


コロナで封鎖されおいた。

これは、本来圢のないものを

わかりやすく圢にしたにすぎない。

圢がなくおも仏の教えが良い圢で心の支えになれば

人は優しく匷く矎しく生きる道を遞択できるし

珟代の日本人は盲目的に宗教に䟝存するような状況にはない。


しかしある意味盲目的な宗教的感芚がなくおは

本圓に尊いものを芋誀っおしたうおそれもあるず思う。


匱法垫の枅浄な粟神も

圢ずなっおわかりやすく芋えなければ

軜んぜられ、芋た目で刀定されるのが䞖の䞭ずいうものだ。


理想ず珟実、人間の葛藀の䞀因である匕き裂かれた残酷を

なにもない舞台に芞術ずしお映し出しおみせる

やはり胜はすごいなずいう結論。

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