昔中国に、呉剛という貧しい薪取りがいました。
ある中秋の日。大雨で薪を取りに行けずにしょぼんとしていると、突然庭に芽が出て見る間に巨大な木となり、小さな沢山の花が咲きました。
それは木犀の木でした。香りのいいこの花を摘んで売り、呉剛は次第に裕福になりました。
この花は一年中咲いている上、いくら枝を切りとってもまたいくらでも生えてきて、無くなることがないのでした。
その後、真冬のこと。
皇太后が病気になり、息子である皇帝に「木犀の花があれば元気になれる」と言いました。
この季節に木犀の花があるのは呉剛の庭だけです。早速、彼は木犀の花を献上しました。
皇后は元気になり、皇帝は呉剛に褒美を与え、役人に取り立てたのでした。
それから何年か経ちました。
その年の中秋の日。死を迎えた皇太后は、私のお墓に呉剛の木犀を一緒に埋めてほしい、と言いました。
皇帝に「褒美として金三千両と宰相の位を与えよう」と言われた呉剛は、ついに庭の木犀の木を切り倒し始めました。
その時。
「なんて欲張りな呉剛。可哀想に思って木犀を授けたのに。木犀は月宮に運び、全ての者が見られるようにしよう」
それは、月に住む天女の声でした。
天女たちが降りてくるのを見て、呉剛は木犀に登って隠れました。 そしてそのまま木と一緒に月宮にまで運ばれてしまいました。
それでも、呉剛は諦めませんでした。
天女たちが姿を消すと、彼は再び木犀に斧を入れました。
しかし切れば切っただけ、傷ついた幹は元に戻ってしまうのです。
こうして今でも呉剛は、月の中で木犀の大木を切り倒そうとしつづけており、その影が月に浮かんでいるのです。
能「羽衣」に謡われる「月の桂」は呉剛の金木犀のこと。
人間の欲望で切っても切っても死ぬことのない、永遠の真理の象徴です。
~春霞、たなびきにけり久方の月の桂の花や咲く。
げに花鬘色めくは春のしるしかや~
万物の命萌え出づる春の空。たなびく霞は生命を司る月の天人の羽衣であり、地上に降り立った天人の花簪が美しく煌くのも、人間の邪心によって真理が汚されることのない平和への祈りに違いありません。
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