能「清経」淡津の三郎の胸中

先日「清経」のツレをつとめました。2度目ですが、重要な役どころで切ない立場です。 清経は宇佐八幡宮で、平家は神に見捨てられるという託宣を受け、入水自殺してしまいます。 船中に残された形見の遺髪を、家臣である淡津三郎が清経の妻に届けに来るところから能は始まります。

「面目もない使いに参りました」という淡津三郎。 「出家でもされたのかしら?」と返す妻。

平家一門都落ちしたとは言え、未だ決戦の火ぶたが切って落とされたとは聞いていない。

「入水自殺されました」という三郎の言葉に我が耳を疑う妻。 形見を渡されるが受け入れられず、突き返してしまう。 その夜の夢枕に清経が立ち、入水の経緯を細々と語るが、妻は夫の死を受け入れられず責め続ける、という内容。

男のプライドと女の愛情のすれ違いと解釈されるのが一般的ですが、この能を理解するには「宇佐の神託」の重要性を知る必要があります。 それについてはまたの機会に述べるとして、今回興味深かったのはワキの淡津三郎を演じられた方が、「決死の合戦を逃れて生きて故郷に帰れることにおいて、主君の死を知らせる 後ろめたい使いではあっても、本心では嬉しいはずなのだから、ただ単純に暗く、悲しく演じるべきではない」という教えについて語って下さったこと。

なるほど、と思い淡津三郎という人は、清経とその妻にとって、どういう存在の人だったのかと気になり調べてみると、どうやら架空の人物らしい‥ 「平家物語」には清経については、妻の話も出てこず、「日頃から何かと真面目に深く考える性質の方だった」という記述があるのみ。

それにしても能の中の妻の「約束が違う!!」という夫を責める言葉には何か裏付けとなる物語があるのではないかと思い、「源平盛衰記」をひもとくと下記の引用の通り‥

「夫婦はとても仲睦まじかったので、清経は妻を連れて西国へ下ろうとしたが、周囲の反対に合い、泣く泣く別れたが、旅先から形見の黒髪とともに<しばしば便りを出すし、きっとそのうち呼び寄せるから>という手紙があったので、妻は信じて待っていたが、ほぼ音信不通のまま三年が過ぎたので恨みの和歌とともに形見を夫に送り返したところ、清経はむなしさに入水自殺してしまった」

ここにも淡津三郎は登場しません。 淡(泡)津=逢はず。 人の別れの悲しみを、あはず、という名に託して創作された人物なのかもしれません。 しかしそこに、ひとりの人間としてのリアリティーが表現されると、「清経」はますます魅力的な人間ドラマになるのでしょう。

「源平盛衰記」巻第三十三 ≪平家太宰府落並平氏宇佐宮歌付清経入海事≫より

主上女院を始進て、内府以下の人々、豊前国宇佐の宮へ有参詣。社頭は皇居となり、廊は月卿雲客の居所となる。五位六位の官人等大鳥居に候ひ、庭上には九国の輩、弓箭甲冑を帯して並居たり。ふりにし緋玉垣、歳経にけりと苔むして、いつも緑の柳葉に、木綿四手懸て隙ぞなき。御祈誓の趣は、主上旧都還幸也。都は既に山河遥隔て雲の徐に成ぬ。何事に付ても、心尽しの旅の空、身を浮船の住居して、こがれて物をぞ覚しける。昔在原業平が、隅田河原の辺にて、都鳥に事問涙を流しけんも、又角やと覚て哀也。七箇日の御参篭とて、大臣殿財施法施を手向、奉り、神宝神馬、角て七箇日を送給へども、是非夢想なんどもなかりければ、第七日の夜半計に思ひつゞけ給けり。

  思かね心つくしに祈れどもうさには物もいはれざりけり

神殿大に鳴動して、良久してゆゝしき御声にて、

  世中のうさには神もなき物を心つくしになにいのるらん

大臣殿是を聞召て、都を出し上、栄花身に極り運命憑なしとは思しか共、主上角て渡らせ給ふ上、三種の神器随御身御座せば、さり共今一度旧都の還御なからんやと思召けるに、此御託宣聞召ては、御心細く思ひ給ひ、涙ぐみ給ひてかく、

  さりともと思ふ心も虫の音もよわりはてぬる秋の暮かな

是を聞る人々、誠にと覚て皆袖をぞ絞りける。小松殿の三男に左中将清経は、都を落給ひける時、女房をも西国奉相具と宣ければ、年来深き契を結、二心なく憑憑まれたる御中にて、女房はさもと出立給ひけるを、父母大に嗔りつゝ免給はざりければ力不及、悲みの中を別て独都を落給けるが、道より鬢の髪を切て形見に返遣はして、常は音信申さん、便の時は又承る事も候へよなど云送ながら、三年が程有か無か言伝もなかりければ、女房恨給て、何国までも相具せんと云しかば、我もさこそ思ひしに、今は心替のあればこそ三年を経共云事はなかるらめ、さては形見も由なしとて返し下給ひけるが、左中将の柳浦に御座ける所へ著たり。一首の歌を副られたり。

  見るからに心つくしのかみなればうさにぞ返本の社に

左中将是を見給ひては、そこさ悲く覚しけめ。柳御所には、さてもと思召て七箇日渡らせ給ひける程に、又惟義寄るなど聞えければ、此を出給ふに、海士の小舟に取乗、風に任浪に随て漂し程に、左中将清経は、船の屋形の上に上りつゝ、東西南北見渡して、哀はかなき世の中よ、いつまで有べき所とて角憂目を見るらん、都をば源氏に落されぬ、鎮西をば惟義に被追出ぬ、何国へ行ば遁べき身にあらず、囲中の鹿の如く、網に懸れる魚の様に、心苦く物思こそ悲けれとて、月陰なく晴たる夜、閑に念仏申つゝ、波の底にこそ沈みけれ。是ぞ平家の憂事の始なる。

観世流能楽師  山下あさの