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杜若

杜若の名所である三河の国(愛知県)八橋を通りかかった僧が花の美しさに眺めいっていると、例によって謎の女が現れて、杜若と在原業平の昔話を語ります。

昔、業平がここで詠んだ和歌   からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ 都で別れた恋人を思い出し、か・き・つ・ば・た の5文字を和歌に詠み込んだのです。

女は僧に「私の家で一夜を明かしてください」と招き、その夜僧の前に輝くばかりに美しい衣を纏って現れます。

その衣は在原業平の形見の衣、頭上にはやはり形見の冠を着て。

衣は在原業平が恋した高子后の衣です。 冠は業平のトレードマークの初冠。

女は杜若の花の精なのです。 和歌は本来、美しいひとの心を詠い、詠み伝え、人の心を和ませるという神聖な役割を担うものであり、優れた和歌を詠む人は、歌舞の菩薩なのであり、在原業平の和歌に詠まれたことによって、心ない草木の身も仏の道に入ることを許され、終生そのありがたいご縁を弔い伝えているのです。

そう言って杜若の精は、伊勢物語の業平の物語を語りはじめます。

昔男、初冠して奈良の京… 仁明天皇に寵愛された美しい業平は、殿上での元服を許されたためその珍しさ、晴れやかさによって「初冠(ういかむり)」と呼ばれたのだと。

しかしやがて身分違いの恋に破れて東国へと逃れた業平は八橋の杜若の濃紫色に、恋人への忘れがたい深い想いがつのり、和歌を詠んだのです。 この八橋の澤辺に千々に咲き匂う杜若のように、さまざまな女性を愛した業平ですが、真実の愛を成すことも、これも仏の所業であったのです。

いろばかりこそ、昔なりけれ… 昔男の名を留めて 花たちばなの 匂い移る、あやめのかずらの…

やがて杜若の精は語りおえ、悟りの花を大きく咲かせて成仏してゆくのでした…

高子の后と言いながら、舞台では業平のトレードマークの「業平菱」という模様の衣を着ることが多いのです。 まさに能の表現力を存分に発揮した作品と思います。 舞台上にひろがってゆく(実際は自己の脳内に展開しているわけですが)紫のイメージ、じんわりと濃密な情愛の気配、甘やかな、それでいて涼やかな優しい薫り。

人によって感じるイメージは変わると思いますが…

脳の中がだんだんとイメージの色や薫りや気配で満たされてゆく感じ。

官能、です。

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