義経と静御前は吉野山で別れた。
能「二人静」。吉野山の麓の神域、宮滝へ、新春の神事に供える若菜を摘みに来る乙女。
謎の女が現れて、吉野で自分を弔ってほしいという。
勝手神社の宮司に遅参の言い訳をする乙女にかの女が乗り憑り、この地から離れられぬ想いのたけを語る。
その正体は静御前であった。
霊体は見えていない設定。
形見の装束を纏った乙女に憑依して、二人の静がぴったり同じに舞うのが見所だ。
その一節、
さる程に次第次第に道せばき、御身となりて この山に分け入り給ふ頃は春
所は三吉野の花に宿借る下臥も 長閑ならざる夜嵐に寝もせぬ夢と花も散り
實(まこと)に一榮一落目のあたりなる 浮世とて又この山を落ちて行く
昔浄見原の天皇大伴の皇子に襲われて 彼の山に踏み迷ひ雪の木陰を頼み給ひける
櫻木の宮、神の宮瀧、西河(にじこう)の瀧 我こそ落ち行け落ちても波は歸るなり
さるにても三吉野の頼む木蔭の花乃雪 雨もたまらぬ奥山の音さわがしき春の夜乃
月は朧(おぼろ)にてなほ足引きの 山ふかみ分け迷ひ行く有様は
唐土の祚国は花に身を捨てて 遊子残月に行きしも今身の上に白雪の
花を踏んでは同じく惜しむ少年乃春の夜も しずかならで騒がしき三吉野の
山風に散る花までも追手の聲やらんと 後をのみ三吉野の奥深く急ぐ山路かな
永遠の別離の前の、最期の逃避行の想い出。
追手に恐怖しながらも、手に手を取って、古代より祈りと誓約の地とされた美しい宮滝の春を行く。
一歩一歩が祈りだった。
静御前の心に積もった祈りの花びら。
愛しい人を護ることができなかった悲しみや恨みや。
桜木神社はかつて、大海人皇子を隠し、護った桜の木で知られる。
宮滝は古くは応神天皇、雄略天皇、斉明天皇(大海人の母)、持統天皇(大海人の妻)が
祭祀の宮を持った神聖な川。
落差50メートルの西河滝は、午前中には美しい虹がかかり、通る者の行く末に希望をもたらす。
しかし二人の運命は、悲劇だった。
それを思うと涙なしには謡えないような、切ない気持ちがこみあげてくる。
静御前の透明な悲しみと、宮滝の透明な神聖さが重なる。
さてこのほど宮滝をじっくり訪れて、新たな発見があった。
どうやら静御前は、義経とともに宮滝を通ってはいない。
大物浦で別れるはずだった義経。船は嵐に吹き戻された(船弁慶)。
一旦離れ、再び吉野山で落ち合った。
その間の二人の足跡は明らかでない。
吉野山でともに過ごしたのはせいぜい三日。
五日後には別れ、静は頼朝方に捕らえられた。
二人にまつわる宮滝の史蹟を三箇所知った。
1、桜木神社義経うたた寝橋
吉野山を逃亡した義経が、つい寝入ってしまった屋根つきの橋が再現されている
2、義経馬洗滝
桜木神社の上流、吉野山へ通じる途上にある滝。葛飾北斎の版画にも描かれた名跡
3、静が井戸(二つ井)
静が身を投げたという井戸。その後静の亡霊が 火の玉となって井戸から現れるので、
村人は蓮如上人に頼み静の亡霊を済度してもらう事にした。
蓮如上人は、大谷氏の家に残っていた静の振袖に、
静にはその形なく白骨のにくをはなれてなむあみだぶつ
と書きつけ、七日間法会を行った。
満願の夜の夢に、静が現われ、「長らくの迷いの門出ができました。」と蓮如上人に
話した。その寺は、元は西光寺といったが、この時から西生寺とあらためたという。
静は捕らえられて、鎌倉鶴岡八幡宮で舞を舞わされた。
身ごもった男子を取り上げられ処刑された後の、足跡はわからない。
全国に静御前の墓が十箇所以上ある。
宮滝の「二つ井」は不思議な井戸だ。
今は土が積もって井戸として機能していないが、古い石積みの、紛れもない井戸が二つ並んでいる。
しかし、成人女性が身を投げることができるほどの大きさではない。
おそらく何らかの実用的目的で造られた双子の井戸が、ちょうど「二人静」の舞台である「菜摘」にあったので、そう名付けられたのではないか。
物語ありきの、伝承や史蹟。
しか重要なのは彼女の深い愛と、絶望が、このような形で伝えられていることだ。
この世を去った後、静は時空を超えて義経の足跡を追体験せずにはいられなかったのだと思う。
義経の見た美しい宮滝に寄り添って、せめて死後の魂を慰めたかったのかもしれない。
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