一泊で藤戸・吉備路ツアーに行ってきました。
まずは倉敷駅前に集合し、ジーンズで有名な児島行きバスに乗ります。 20分くらいで「藤戸寺下」下車。まさに「藤戸寺」のすぐ下です。
バス停前の「鯛よし」で昼食。 こちらはもともと鯛焼きで有名なのですが暑いのでお彼岸まで鯛焼きはお休み。
こしのある讃岐うどんがいただけます。 (倉敷はぶっかけうどんと鯛焼きのお店が多いと思う…不思議)
藤戸寺で能「藤戸」解説。
平家物語の「藤戸合戦」が原典の能です。
今は干拓されて地続きになっている倉敷市・藤戸と児島の間には500mくらいの海峡がありました。
平家は児島に陣を取り、これを破らねば源氏はここから西方を手中にすることができません。
船を持たない源氏は攻めようもなく、本土側の藤戸に陣をとり、互いににらみあっていました。
源氏の佐々木三郎盛綱は、海峡をつなぐ浅瀬があると聞きました。 海中にあるので地元の漁師しかその場所を知らない。
盛綱は地元の漁師に褒美を与え、その場所を聞き出します。
漁師に案内され、服を脱いで海峡に入り身をもってその場所を確かめます。
「これなら平家に奇襲をかけ、先陣をとって手柄をたてられる」 確信した盛綱。
盛綱は口止めのために漁師を殺して海に沈めてしまいます。
かくして見事平家を討つ先陣をとった盛綱。 頼朝は「かつてこのような大胆な奇襲で功をたてた者はない」 と盛綱を賞賛し、児島を領土として与えたのでした。
……ここまでが「平家物語」の内容です。 能「藤戸」は盛綱が児島に赴任してくるところから始まります。 住民達に苦情があればなんでも申し出よと告げた盛綱。
そのときひとりの女が進み出ます。 女は地元の漁師の母。誰あろう盛綱が藤戸の浅瀬を聞き出し殺した漁師の母でした。
女は地元ですっかり噂になっている、盛綱による殺人を言い立てます。
せめて罪を認め、供養をしてくれたなら、少しは母の悲しみもなぐさめられるであろうに。 どんなに慈しみあってくらしてきたことか。 愛しい、愛しい我が子を失った悲しみを女は切々と述べます。
しらばっくれていた盛綱ですがついに罪を認め、その殺人の有様を克明にかたり、死骸を沈めた場所を教えます。
女は嘆き悲しみ、私もいっそ殺してくれとつめよるのでした。
哀れに思った盛綱は女の生活を補償し、漁師の法要を行います。
供養の読経が始まると漁師の怨霊が現れます。
冷たい、冷たい、人の心。 その刃に心臓を貫かれて冷たい海の底に漂い続けている悲しい魂。
やがて仏教の功徳により、怨霊は彼岸へと成仏してゆきます。
藤戸寺周辺の謡曲の史跡は、地元の保存会によってたいへん大事に保存されています。
海峡を渡る佐々木盛綱の像は若々しく男前。(名君だったそうで) 金色に実る直前の豊かな水田の真ん中に、当時の海のあとが残されている「浮洲岩」。
漁師が沈められたところです。 「佐々木」と聞けば「笹」も憎いと母親が笹を引っこ抜いてしまったという「笹無山」。
ほかにも、経ケ島、先陣庵、鞭木跡、乗り出し岩などがあります。 倉敷市観光WEB 藤戸合戦の史跡を訪ねる 車でないとめぐりにくい距離なのですべてはめぐりませんでした。 当日はまたまた日本晴れの暑気。
気候がよければとても気持ちよいウオーキングコースです。