昨日のたにまち能 ( 2009年2月 ) は、「野守」の黒頭でした。 壮大な春日野のイメージと、こんもりと木の繁った塚の中にこもる野守のイメージで青々とした初夏の曲と思い込んでいましたが 、この季節に上演されるということは・・・と、 考え直してみると、前シテの謡に「若菜摘む」ということばが・・・ つまり雪解けころ冷たい風の吹く、なるほど、今頃の曲なのでした。 「野守の鏡」とは、天上から地獄まで、すべてを映す。人の心の奥の奥までみすかしてしまう。不思議な鏡です。 野守は見ずや、君が袖振る
と、額田女王が詠んだ時代、朝廷から派遣されて諸国を管理した役人が「野守」でした。 野守は互いに合図を送るため「鏡」を持っていたとも。
また、この季節に野に貼る氷を「野守の鏡」と言ったとも。 天皇が見失った白斑の鷹が映った「鷹の井」も、実は氷の水鏡だったとも言われます。 イェーツが作った「鷹姫」という能も、「野守」に登場する「水鏡=鷹の井」がシンボルになっていますが、 ある人の解釈によると、井戸の底知れぬ水の深さは 生命の根源を現す。この水が涸れることは、生命の枯渇=死を現す。 水の涸れかけた井戸の周りを飛び舞う「鷹姫」は、生命そのものを屠って激しい生命の先端を謳歌している、 まさに死の対極を現すのだというのです。 この解釈を読んで「野守」のことが少しわかったような気がしました。
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