彼岸の中日、弱法師の観た夕日

2020年3月20日金曜日、17時45分。

今日は彼岸の中日だったと、ふと気づいた。


能「弱法師」の日だ。

今日の日没は18時12分。

呼ばれているような気がして四天王寺へ向かった。


能「弱法師」は説教節「俊徳丸」を原典とする。

「説教節」とは人間の訓戒を説く長い物語を

テンポ良い節に乗せてうたい語る、古い宗教的芸能だ。


高安の豪商の息子として生まれた俊徳丸は

容貌涼やか、人徳もあり舞歌の才にも恵まれた。

しかし実母亡き後義母の謀略によって

毒を盛られ、盲目となり家を追われる。

絶望の中、一縷の希望を頼りに

俊徳丸は四天王寺への道のりをたどる。


聖徳太子が日本で初めて仏法を説かれた四天王寺。

ここには四箇院が設けられた。即ち 

敬田院 仏法を学び、広める寺院

施薬院 薬局

療病院 病院

悲田院 病人、貧困、高齢者のための福祉施設

その精神は現代にも受け継がれている。


貧者に施しをすることで利益を重ね、

現世の罪は軽減される。

俊徳丸が並んだ施者の列、その主は父親だった。

息子を追いやった罪が濡れ衣だったと知り、

しかし息子は既にこの世にいないだろう。

せめて貧者に施すことで息子の後世を祈ろうと。

盲目の乞食が我が子であるとはまだ知らず。


まさに施しを受けようと俊徳丸が袖を広げたとき

散る梅の香りが春風に立ちのぼる。

肌寒い清浄な空気に、自らの命を散らして

春を告げる梅の花。

それは天の施し。しるしは高貴なる香りである。


そのことを感じることのできる俊徳丸の感性は

見えぬ目で、見える者よりも一層尊い風景を観る。

見えぬからこそ見えるものがあることを

俊徳丸は知っている。


杖を頼りに語り舞う俊徳丸を

人々は愛着を込めつつ「弱法師」と呼んだ。

よろよろあるく、しかし大事なことを語るひと。

やがて日没の時刻。

日想観(じっそうかん、にっそうかん)の時節である。

太陽を見つめよう。あれはなんだろう。

森羅万象の一部としての雄大な太陽と

実は己は同じように森羅万象の一部なのだと

そしてそれは仏と同体なのだと認識したとき

人は己の仏性に気づく。


彼岸の中日に四天王寺の西の鳥居の

向こうの水平線に、夕日が沈む。

西には西方浄土があり、阿弥陀如来が迎えて下さるので

現世に望みのない人々が日没とともに

鳥居をくぐって海へと消えてゆくことが

中世に流行したという。


下村観山「弱法師」(東京国立博物館蔵)


俊徳丸の心にある、希望に満ちた美しい光景。

しかしやがて四天王寺の人出に押されて

盲目の少年は地に臥しつらい現実を思い知る。

父は我が子と気づくが人目を忍んで

夕闇に紛れて伴い帰る。これもまた、つらい現実。

四天王寺に着くと意外にも数百人の人が

日没を見守っていた。


空海が創始したと伝えられる日想観は

実は永らく行われておらず

2001年に再開された。

最初は十数人の参列だったのが年々増えて

千人を超える人が集まるようになっているという。


能「弱法師」のシンボルでもある四天王寺石の鳥居。

その扁額は箕(ちりとり)の形。

衆生を漏らさず救って下さる仏法の誓いの象徴。

1326年鋳造のオリジナルは宝物殿に収蔵されている。

記載されている文字は

「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」

お釈迦様が 仏法説き実践された此処は

西方浄土(極楽浄土)の 東門に向かう西門である


極楽門に転法輪がついている

これを回して寺に入るのは仏さまへの敬意を表す。


コロナで封鎖されていた。

これは、本来形のないものを

わかりやすく形にしたにすぎない。

形がなくても仏の教えが良い形で心の支えになれば

人は優しく強く美しく生きる道を選択できるし

現代の日本人は盲目的に宗教に依存するような状況にはない。


しかしある意味盲目的な宗教的感覚がなくては

本当に尊いものを見誤ってしまうおそれもあると思う。


弱法師の清浄な精神も

形となってわかりやすく見えなければ

軽んぜられ、見た目で判定されるのが世の中というものだ。


理想と現実、人間の葛藤の一因である引き裂かれた残酷を

なにもない舞台に芸術として映し出してみせる

やはり能はすごいなという結論。