天鼓考 ~犠牲の星を見上げて~

最終更新: 2018年9月3日

去る6月10日、広島で能「天鼓」を読む講座を開催した。

いつものように沢山の方が真剣に聴いて下さった。


天鼓は難しい能ではない。

前シテは老人。

歳とって授かった我が子を亡くして嘆き暮らしている。


身籠るとき妻は夢を見た。

天から鼓が降って胎内に宿る夢。

生まれた男子は天鼓と名付けた。

その後本物の鼓が降り下る。

少年が打つと極めて美しい音を出す。


皇帝は噂をきいて、鼓を召し上げた。

少年は鼓を抱いて山へ逃げ込んだが、捕らえられ、罰として川へ沈められてしまった。


皇帝の使いが老父を呼び出し、召し上げた鼓を打ちに来いという。

誰が打っても鳴らないからだ。


なんという手前勝手な命令か。

最愛の息子の命を、己の享楽のために奪っておきながら。

いや、つまり罪人の父親は生きていてはならぬということか。


複雑な想いを抱えながら宮殿へ向かう老人。

もう逃れることはできない。

薄氷を踏む思いで鼓へと歩み、おそるおそる打つのである‥


後半は、河畔での少年天鼓の供養の楽奏となる。

少年の霊が川面に浮かび、弔いを喜び鼓を打って舞い戯れる。


なんとも身勝手な皇帝は、秦の始皇帝がモデルと考えて間違いないだろう。


【史記 始皇本紀第六より】


始皇帝は渭水(川)の南の御苑の中に、宮殿を造営させた。

まず前殿を阿房に造らせた。東西500歩、南北は50丈、宮殿の上には1万人が座れるようにし、下には5丈の旗を立てられるようにした。

周囲には回廊を巡らせ、宮殿の下から直接南山に出られるようにした。

南山の頂上に敬意を表してそこに宮殿の入口を造った。

2階建ての渡り廊下を造り、阿房から渭水を渡って咸陽までつなげ、夜空の北極星が回廊を伝い、天の川を渡って営室星に行くのを象ったのである。


「わしは超人になりたくて仕方ない。今後は自分のことを超人と言って、朕と言うのは止めよう」


この時以後、咸陽から半径200里以内の270の宮殿を、2階建ての渡り廊下や覆いをした。

外から見えない道で相互につなげて、宮殿に充ちている几帳や鐘鼓や美女は、それぞれの場所に登録し、他に移動できないようにした。

皇帝一行が訪れた場所を他言した者は死罪と定めた‥


人を人とも思わない傲慢さは、永遠の生命を求め、宇宙を支配しようとした偉大な皇帝の業績の、負の側面といえる。


さてこのほどもっとも興味深く、講座の参加者も感心されていた資料がある。


【史記天官書より】


杵、臼四星,在危南。匏瓜,有青黑星守之,魚鹽貴。

南斗為廟,其北建星。建星者,旗也。牽牛為犧牲。其北河鼓。

河鼓大星,上將;左右,左右將。婺女,其北織女。織女,天女孫也。


『天官星占』曰


「匏瓜一名天雞、在河鼓東。牽牛一名天鼓、不與織女値者、陰陽不和。」


星座が地上に及ぼす影響などが記されている。


牽牛為犧牲

牽牛は天にささげる犧牲の牛を司る星である。


牽牛一名天鼓、不與織女値者、陰陽不和

牽牛の別名は、天鼓。織女には釣り合わないので、陰陽和せず。


つまり、「天鼓」は「牽牛」の別名だった。


わし座の三つ並んだ星を、鼓の形に見立てたのかもしれない。


能「天鼓」に原典となる物語はない。

作者が様々な伝承や史料からインスピレーションを得た創作だ。


人間界を統治し、より豊かな人間社会を構築しようとする

皇帝は、天を理想として人間の心を踏み外す。

天から降り下った星の少年は為政者に従わず、あるべき場所へ還って行く。


皇帝に人間の心を呼び戻したのは、鼓の音だった。

老父の打つ鼓が音を出したとき、

紛れもなく息子の魂が助力したのだと、誰もが知った。


いつも犠牲となるのは無垢なる者だ。

少年は予め犠牲となることが定められて、地上に降ろされたに違いない。


川には天の川が投影し、天鼓はまるでプラネタリウムの真ん中で舞っているようだ。


「人間の水は、南へと流れ、星はいつも北へと集まる。」

宇宙の道理を説く少年に、恨みや哀しみは感じられない。

無垢であり、きらきらとして、凛として、正しい。


それは天地を隔てた老父の見たかった愛息の姿だったのかもしれないと、

私は解釈している。


2018年9月29日 ( 土 ) 能公演 「天鼓」 にてシテを勤めます。

よろしければ是非ご来場ください。

観世流能楽師  山下あさの