平知盛といえば、
能「船弁慶」の闇のヒーロー。
平家一門の怨霊を背負い、義経に復讐を果たそうと襲いかかる。
檀ノ浦での知盛の最期は、勇猛な大将として味方を鼓舞し多くの敵を討った末に鎧兜、船の碇を担ぎ上げ海底へと沈んで行く、きりりとしてカッコよすぎるイメージだった。
先日の住吉隣保センターでの能講座。
テーマは「知章(ともあきら)」。
息子、知章の死闘を見捨てて父知盛が生き延びたときの物語だと知ってはいたが何となく、知盛のイメージと合わなくて深く知ろうとせずにきていた。
原典は平家物語「知章の最期」。
一の谷で源氏にさんざんに破れ、知盛の軍は僅か三騎となった。
ほかには息子知章と、忠臣の監物太郎頼方。
西へと落ちて行く平家の船に同乗しようと須磨の汀に来たところ、源氏の一団が追いつき、戦闘となる。
弓の名手、監物太郎の矢が敵の旗持ちの首を射ぬいた。
大将とおぼしき武者は、知盛めがけて馬を並べて攻め掛る。
若冠16歳の知章が父を助けようと二騎の間に割って入り、敵の武者を討ちとった。
そして知章も討たれ、討った小姓も監物太郎に討たれ、監物太郎も膝を射抜かれ、立ち上がれぬまま討たれて果てた。
その死闘の間に知盛は愛馬に乗り、沖合いの御座船に泳ぎついた。
船には安徳帝をはじめとして、平宗盛父子など、高位の面々が御座あった。
知盛は胸の内を吐露する。
父親を助けようとした息子を見捨てて逃げ延びようとする父親があってよいものか
これが他人であれば、あり得ぬ事と侮蔑したものだったろうに、いざ我が事となったとき、これほどに、己の命が惜しいものであったかと、己はそのような者であったかと、人様は自分をどれほど蔑むかと、情けなきことこの上もない……‼
咽び泣く知盛に宗盛が言う。
それでも、知章のおかげで今お前が生きていることは、自分にとっては有り難いのだぞ
まことに、知章は惜しき者であった。文武に秀で、心も剛く。
本来ならば、生きて我が息子と共に、平家一門の繁栄を何時までも支えるのであったに違いない。
確かに、お前と同じ16歳であったよな
そう言って息子、清宗を見る。
船中の者は皆、涙に暮れたのだった。
さて船は狭く、馬は載せられない。
主人を慕いしばし泳いで追っていたが、やがて諦め須磨の汀へ戻って行った。
脚が着くところまで来ると前足で宙を掻き高嘶きして、別れ行く主人を呼んだ。
これは元々後白河院から賜ったのだ。
名馬を愛するあまり知盛は、毎月一日に、馬の長寿を祈祷する泰山府君の祭りを催したという。
馬は源氏に捕獲され、再び院の厩に還ったのだった。
命の瀬戸際で他者のみならず、自分自身の見たくない部分を見せつけられる。
生きなければならない大義名分もあったはずだが、知盛は命が惜しかったと言う人間だ。
本当にただ、命が惜しかったなら、碇を担いで海に沈むことはできなかったのではないか。
そして情の深い宗盛の振舞い。
往生際の悪い最期を取り沙汰されがちだか、それも息子への愛情故だったのかと思わせられる。
人間らしい彼らの振舞いを知るほどに、物語はリアリティーを持って哀しみを増して行く。
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